ぴーちゃん通信

2020/11/1号 土田雅章院長(練馬院)インタビュー

毎月ピックアップしてスタッフを紹介していくこのコーナー。
今月は、練馬院の院長、土田雅章先生のご紹介です♪
今回は感染対策のためメールにてインタビューをさせていただきました。

 

【Q 久々のピーちゃん便のトップバッターは練馬院、土田院長先生です。
まずは簡単な自己紹介をお願いします。】

 

2020年4月1日より練馬院で透析を担当しております。
東京医科歯科大学卒業、妻は専業主婦で、息子は日本大学医学部4年生です。

 

【Q 土田先生は趣味や資格などお持ちですか?】

 

妻と韓国ドラマを見ながらお茶することが趣味です。

 

【Q 医師を目指したキッカケ、透析を専門に選ばれた理由を教えて下さい。】

 

手に職をつけようと考えて医師を目指しました。透析を専門に選んだのは
指導医と意気投合したからです。透析専門医証は透析室の入り口に掲示しています。

【Q 最後に。プライベートはどのようにお過ごしですか?】

 

休日は家事をしたり、妻とお茶をしたりしています。

 

土田先生の力の源はご家族との時間なんですね。
お忙しいにも関わらず、お付き合いして下さりありがとうございました!
土田院長先生、今後も練馬院をどうぞ宜しくお願いします。

2019/12/1号 真壁孝弘さん(リハビリテーション科)インタビュー

毎月ピックアップしてスタッフを紹介していくこのコーナー。

今月はリハビリテーション科の真壁孝弘さんです!入院と外来の院内リハをまとめる真壁さんにはリハのあれこれを語っていただきましたよ。

 

【Q こんにちは!真壁さんはリハビリテーション科の理学療法士として従事されていますが、この職業を目指したきっかけはなんだったんでしょう?】

 

完全になんとなくでした(笑)高校3年生のときに看護師の姉が「こんな職業もあるよ~」と教えてくれたのがきっかけでしたが、作業療法士や言語聴覚士はなんか違うな~やっぱりちょっと体動かす方がいいかな~と、なんとなく理学療法士に決めてここまで来ちゃいましたね(笑)でも面白いですよ、理学療法。

 

【Q そもそもリハビリとか、理学療法とか、どういったことをするんですか?】

 

リハビリには物理療法と運動療法があって、マッサージ器や低周波治療器、温熱などの道具を使うのが物理療法。機械を使わずに体を動かすのが運動療法。リハビリ室で行っているのはすべて運動療法です。

 

【Q なるほど!では理学療法士として働いていて一番楽しいと感じるのはどんなときですか?】

 

患者様が「こういうことに困っています。こういうことができるようになりたいです」と言ったことに対して、どういったことをしようか考えて、やって、それが成功したときは「当たった!」という気持ちよさがありますね。きっとpt(physical therapist …理学療法士)みんなそこが楽しいところだと思います。

逆に自分がここまでいけるかな?と思っていたところまでいかなかったときは、自分の力不足を感じますし、もっとできたんじゃないか、もっと早く気づけたんじゃないかといった悔しさを感じます。

 

【Q とてもやり甲斐を感じてお仕事されてるんですね。では今までで一番印象に残っているエピソードはなんですか?】

 

理学療法士として最初に担当した患者様が「孫のバンドがすごく有名になったのよ」というのを聞いて、きっとインディーズデビューしたとかそのくらいなんだろうなという気持ちで2ヶ月くらい信じていなかったんです。患者様もバンド名は覚えていなくて「花の名前だった気がする…」くらいで。ある日そのバンドがテレビに出ているのを見て、ボーカルの顔があまりにもその患者様にそっくりで「本当だったんだ!!」と衝撃的でした。

「あの高速道路の橋~を~」のフレーズで有名になったあのバンドです。

 

【Q そのバンド私も知ってます!そんな偶然があるんですね。世間は広いようで狭いと言いますが…】

 

世間は狭いですね。

理学療法士養成校の教員を8年ほどしてから理学療法士として働き始めたんですが、ある訪問先の患者様が病院に入院していたとき、担当のptが自分の教え子だったなんてエピソードもありました。そのときは教え子の成長を感じて嬉しかったですね、思わずその場で本人に電話してしまうほど(笑)

 

【Q 元教え子ともいい関係を築いていたんですね!今のリハビリテーション科もすごく仲のいいチームだと思いますが、やはり真壁さんの人柄なんでしょうね】

 

リハビリテーション科は患者様との1対1なので、のんびりまったり各々のペースで仕事ができるのが雰囲気の良さに繋がっているんだと思います。誰かの仕事が終わらないから仕事量が増えてしまうだとか、他の人に左右される部分が少ないですね。

そして外来の患者様同士だったり病棟の患者様もだんだんと顔見知りになってきて、みんなでコミュニケーションを取りながら輪になって楽しくリハビリをすることもあります。そういった意味では患者様に助けられている部分も大きいですね。

あとは天然キャラの末吉君と岡野さんがムードメーカーになってくれてます!笑

 

【Q そのチームワークの良さで去年の忘年会の出し物では優勝をもぎ取りましたね!今年の忘年会の出し物はどんな調子ですか?】

 

今年は健診課と合同での出し物になります。去年の優勝チームと準優勝チームなので「敵はいねーぜ!」と言いたいところですが…今年は人数が少ないのでどうなるかわかりません。練習もみんな一緒に出来る日がなかなかないのですが…仲良く優勝を目指して頑張ります!

 

【Q 一体どんな出し物なのか期待しておきますね。それでは最後に、プライベートの過ごし方を教えてください!】

 

最近は趣味という趣味がないんですが…教員時代にはずっと本ばかり読んで過ごしていましたね。神経生理学が専門なので、1冊1000ページくらいあるその手の本をずっと読んでいました。大き目の本棚2つ分くらいは読んだんじゃないでしょうか…

あとは自転車ですかね。6月くらいにミニベロというタイヤが20インチくらいのロードバイクを予約して、9月にやっと届きました。それが10万くらいの入門編なので本当に嗜む程度なんですが…フレームの色がミッドナイトブルーでとても気に入っているんです。今後はカーボンのハンドル、ホイールに変更して、それからギアセットもグレードアップさせたいなと考えています。

 

 

 

真壁さん、ありがとうございました!

ちなみに去年の忘年会優勝賞金は新年会に充てられ、年末も年始もしっかり楽しめたそうです。

人様にお披露目できるようなスキルがなにもないので、今年もじゃんけん大会を頑張ろうと思ったぴーちゃんでした♪

 

2019/11/1号 石向裕哉技師長(清瀬院・練馬院)インタビュー

毎月ピックアップしてスタッフを紹介していくこのコーナー。

今月は画像健診科の男前放射線技師、石向裕哉(いしこう ゆうや)技師長です。石向さんには過去から現在に至るまでの色々をお話していただきましたよ♪

 

【Q 石向さんこんにちは!さっそくお馴染みの質問から参りましょう。まずは放射線技師という特殊な職業を選ばれたきっかけを教えてください】

 

きっかけは高校時代の骨折でした。高校三年間ラグビー部だったのですが、試合で激しいタックルを食らって脛骨骨幹部骨折(スネの骨折)というのをしました。そしてレントゲンを撮ったときに、骨が透けて見えることに興味を持ったのが始まりです。

そして高校卒業後に技師の専門学校に入学し、放射線の事を学びました。

 

【Q ラグビー部だったんですね!中学は陸上部だったと伺いましたが、なぜ高校ではラグビーを選んだのですか?】

 

中学時代は短距離の選手でした。県大会で入賞したりもしまして、それが縁で高校のラグビー部の先生からスカウトがあったんです。陸上部からもありましたが、陸上は孤独な競技で…(笑)スピードを活かせて、尚且つチームプレーができるスポーツがいいなと。サッカーなんかも好きでしたが、サッカーは中学からやっている人が多くて。ラグビーなら高校から始める人が多かったので、ラグビー部にしました。

今回のラグビーワールドカップ、日本は残念ながら準々決勝で敗退してしまいましたが、自分がやっていたときはそんなに人気じゃなかったスポーツがこうして注目を浴びていることを嬉しく思います。それぞれがポジションごとの役割を担ってひとつの目標に向かっていく姿がすごく良かったです!

「外人ばかりじゃないか」という意見も聞きますが、そういう気持ちよりも日本のためにこんなに頑張ってくれてありがとう!!という気持ちが強かったです。

 

【Q 熱く語ってくださってありがとうございます。陸上、そしてラグビーが今の石向さんをつくっていたんですね。今では技師長という立場ですが、お仕事をする上で心掛けていることはなんですか?】

 

技師長だから、管理者だからという意識ではなく、新しいことや難しいこと、自分に出来ることはなんだろうかと率先してやってみることです。

一緒に働いているスタッフは皆さんとても優秀で、力を借りながら一緒に仕事をしています。不慣れな部分もありますが、わからないなりに頑張ってやっていますので今後ともよろしくお願いします!

 

【Q 画像健診課の皆さんは、はたから見ていてもとても雰囲気が良くチームワークもいいと思います。石向さんが順洋会を選んでくださって本当に良かったです!】

 

放射線技師の専門学校を卒業してから15年ほど池袋で働いていたんです。池袋は街も電車も混雑していて、次は下り電車で行ける職場にしようと思って入職しました(笑)

仕事に向かう際、ひとつの車両に自分一人しかいないときなどもあり、とても快適です。

 

【Q まさかの理由ですね!笑 確かに武蔵野総合クリニックはのどかな場所にありますが、実はテレビの収録に使われたりもしているんですよね。石向さんにも対応していただいたことがあったと思いますが、いかがでしたか?】

 

私が対応したときは「原因不明の頭痛に悩む患者さん特集」のような内容で、診察とMRIの機械を動かしている様子の撮影でした。

患者さん役や医師役の役者さんのオーバーな演技にびっくりしつつ、心の中で「いやいやいや…笑」とツッコミを入れていましたね。ディレクターさんが「声もっと出してみる?」なんて指示をしたりしていました。

実際にVTRが放送されたときは、思っていた以上に使われている映像が少ないことにもびっくりしました。ほんの数秒でより伝わるように、大袈裟な表現をするのだなあと納得しました。

 

【Q いつもご対応ありがとうございます。さてそれでは最後の質問です。プライベートではどんなことをしているのか教えてください!】

 

アウトドアなことだと、バイクでキャンプに行ったりしています。富士山の近くや群馬、栃木、茨城など関東が多いです。遠い所だとフェリーも使って北海道まで行ったり、徳島から四国を周り、しまなみ海道と名古屋を経由して東京に帰ってきたり。

キャンプの醍醐味は焚火を囲んで自然と触れ合いながらお酒を飲むことです。少し寒いけど焚火にあたるとちょうどいいくらいの、今の季節が最高です。キャンプ用品店なんかに行くとテンションが上がります!

インドアな趣味だと、雨の日はNETFLIX(月額定額制の動画配信サービス)を見たりPS4をやったり…ゲーマーなんです(笑)あとは料理も好きです。お酒を飲むのでもともとはお酒のつまみを作るところから始まったんですが、そこから料理もするようになりました。しめ鯖やイカの塩辛なんかも自分でつくります!

 

 

石向さんありがとうございました♪料理もできて、バイクで全国津々浦々巡ってキャンプをしてしまうなんて、どこでも生きていけそうですね!

中学時代は100mを11秒台で走る俊足だったそうですよ。小学校、中学校時代は足の速い男子がすごくモテましたよね。今度は石向さんのモテモテエピソードを聞いてみたいピーちゃんでした♪

 

2019/10/1号 山本悦子師長(清瀬院・病棟)インタビュー

毎月ピックアップしてスタッフを紹介していくこのコーナー。

今月は清瀬院3階病棟の頼れる師長、山本悦子師長です!山本師長にはお仕事のあれこれを語っていただきましたよ♪

 

【Q 山本師長こんにちは!まずは看護師を目指したきっかけを教えてください】

 

出身が新潟県なんですが、通っていた県立高校は珍しく看護科のある高校でした。私は普通科に通っていたんですが、看護科があることで初めて看護師という仕事を知って興味を持ったのがきっかけで、仲の良かった友達と一緒に都立の看護学校に上京してきました。

 

【Q 看護学校を卒業されてからはずっと看護師として働かれていたんですか?】

 

卒業後は都立病院で看護師として内科と外科を約8年経験しました。そして家庭の事情から病院を退職し一度は専業主婦を経験したりもしてから訪問看護ステーションに再就職しました。当時訪問看護というもの自体知名度は低かったですし、自分自身も内容はよく知らないまま面接に行ったら即採用だったので、家の近くということもあってそこで20年近く、ケアマネージャーと訪問看護師を兼務してました。

ケアマネージャーの資格は第一回の資格試験で取りましたよ。

 

【Q 病棟も長く経験されて、看護のエキスパートですね!訪問看護と現在の病棟師長、どういった違いがありますか?】

 

訪問看護は基本一人で行って処置や介護を行い一人で帰ってくる、体力のいる仕事でした。更に、ドクターと一緒に回るわけではないので自分で判断しなければいけないところや、家族や暮らしている環境も含めてじっくり関わるところが難しい点でもありました。

管理者として介護認定審査会など市の仕事にも関わっていたので、非常に忙しさは感じていました。周りからは「訪問看護向いてるね」とは言われていましたよ。

病棟勤務では肉体的にだいぶ楽になったと思います。同じ年齢、同じ性別、同じ病気の患者様でも一人一人は全く異なるので、関わり方が難しいのは同じだと思います。体だけでなく心のあり様も考えなければいけないのですが、病棟では入院日数に制限があるので急ぐ必要があります。どれだけ相手を理解して寄りそえるかですね。誰かにとっては正解でも誰かにとっては不正解なこと、良かれと思い話したことに感謝されることもあればそうじゃないときもある。難しいですが、人間関係を微調整していけたらと思います。

 

【Q それが山本師長の「すぐそばに、ずっとともに。」なんでしょうね。師長のもとで働いているスタッフも心強いと思います。では一緒に働いているスタッフになにか一言お願いします!】

 

いつも感謝しています。去年は患者数も多くさらに重症の患者様が多かったので特にハードだったとおもいますが…すごく丁寧に仕事をこなしてくれますし、患者様のこと第一で行動してくれますし、一緒に働けて光栄です。

 

【Q 実は病棟で働いているのは看護師さんだけではないんですよね。先日、雑誌「日経ヘルスケア」の取材で救命士の教育について取材を受けられたかと思いますが、どのような内容だったのでしょうか?】

 

テーマとしては救急救命士の働きかた、病院として救急救命士をどのように活用していくかといったものでした。具体的には、慢性期の患者様を看るという看護師に近い仕事の教育についてです。

救急救命士は、患者様が病院に搬送されるまでの救命活動をすることを主に教育されていて、急性期の患者様の対応をすることが多いです。しかし在宅診療部でドクターに同行する救命士は慢性期の患者様を見られなければ仕事になりません。そこで病棟では、慢性期の患者様について症状の確認をしたり、どういった対応をすべきかの判断力を高めるための指導を行っています。そういった内容をお話ししました。

 

 

【Q とても興味深い特集ですね…掲載された雑誌、読んでみますね!では最後にプライベートなことも少しお聞かせください。ずばり、山本師長の趣味はなんですか?】

 

本が好きで、薄手の文庫本くらいだと数時間で読み切ってしまいますね。ジャンルは問わず、小説はSFから恋愛小説、評判のものも…なんでも読みます。最近面白かったのは恩田陸の「蜜蜂と雷鳴」です。浜松の音楽コンクールの作品なんですが、直木賞も受賞してましたよ。

あとは音楽も好きで、バイオリンを8年近く習っていて、クラシックギターもやっていました。

忘年会で披露?やりません!笑

 

2019/9/1号 名古屋たち子師長(清瀬院・練馬院)インタビュー

毎月ピックアップしてスタッフを紹介していくこのコーナー。

今回は清瀬院・練馬院における外来看護師の要、名古屋たち子師長です!名古屋師長には現場スタッフの皆さんからの質問も含め、ご自身のお話や看護に関するお話を聞かせていただきましたよ♪

 

【Q こんにちは!まずは名古屋師長が看護師を目指されたきっかけを教えてください】

 

きっかけは、中学2年生のときに仲の良かったいとこが交通事故で亡くなったことでした。車での事故だったんですが、いとこの同乗者は全身血だらけで急いで処置をされていたのに対し、いとこは目立った外傷がなく対応が後回しになってしまって…

そのときに「人の体の見えないところで何が起こっているんだろう?」と。

そう思ったのがきっかけでした。

 

【Q お辛い思いをされたのですね。実際に看護師になられてからはどのようにキャリアを重ねてきたのでしょうか?】

 

臨床の看護師として18年、それから看護教員として専門学校で20年、そしてまた現場に戻ってきたので…精神科病棟以外は全ての科を経験しました。

看護教員時代は講義と実習を半々でしたが、あくまでも学生のサポート役でしたから…

もちろん生徒たちがきちんと勉強し看護師として卒業していくことはとても楽しいことでした。ただ自身のことを考えたときに、やはり最後は現場に戻って実際患者様に触れて終われたらという思いが強く、また現場に戻ってきました。

 

【Q 名古屋師長の「看護師観」というのでしょうか、どういった看護を目指すのかをお聞かせいただけますか】

 

一番大事なのは患者様の立場に立って考える、その人の思いに添えたか考えることだと思っています。

もしなにか迷ったときは「看護者の倫理綱領」を思い出すようにしています。実はこれいつも持ち歩いているんですけど…人間としての尊厳を尊重する、平等な看護をする等、看護師を目指す人が学校で必ず教わることです。学生だろうとベテランだろうと、みんなが必ず意識しなければいけないことですね。この看護倫理を思い出し振り返ることで、私は何をするのか?と自分を見失わず初心に戻れるようにしています。

 

【Q 初心忘るべからず、ですね。では所属長として心掛けていることはなんでしょうか?】

 

できていない時もあるんですが…その日出勤しているスタッフに必ず一言声をかけること、患者様も見るけどスタッフも見る、ということですね。何か困っていないか、動きにくくないかを見るようにしています。清瀬院にいても練馬院に行っても、みんな本当によく頑張ってくれていてそれがとても嬉しいなと思いますし、誇りに思います。

もちろん患者様に対して何か気付けることはないか、ということも大事にしています。なるべく診察の場にナースがいた方がすぐに補助ができますが、例えばドクターに対してはお話できるけど看護師にはあまり話を聞かれたくない患者様もいらっしゃいますから、必要に応じてナースの立ち位置を移動してもらったりなども意識しています。

守山院長先生もおっしゃっていましたが「何か気になって受診するんだから、しっかり診てあげたい」と。本当にその通りなので、色々な症状の患者様がいる中で「ちゃんと病院に来てよかったな」と思われるような看護を心掛けています。

 

【Q 名古屋師長の看護に対する真摯な姿勢がとても伝わってきました。では最後にプライベートのことも…ズバリ、休日は何をして過ごしていますか?】

趣味が書道なので、いまは週に1度くらいのペースですが書道の先生について指導してもらっています。毎月書く字は決まっていて、今日はたまたま持ってたんですけど(とても達筆な書を見せて頂きました!)こうして課題の書を先生に赤字で添削してもらい、休憩中なんかに見て確認しています。見ないと忘れてしまうので…

小さいころから書道をやっていて、それこそ看護師を目指す前は書道を仕事にしたいと思っていました。母には生活していけないからと反対されましたが(笑)

 

 

趣味もお仕事もずっとひとつのものを愛情持って長く続けてこられた名古屋師長、ありがとうございました!インタビュー中も現場への愛に溢れていて、とてもほっこりしました。

書道を教える資格もお持ちだそうなので、ぜひ習ってみたいぴーちゃんでした!

 

2019/8/1号 吉田圭佑先生(犬のじどうかん POOCH PAL)インタビュー

毎月ピックアップしてスタッフを紹介していくこのコーナー。
今回は犬のじどうかんPOOCH PAL代表の吉田圭佑先生に、POOCH PALの活動や魅力をたっぷりと語っていただきましたよ♪

 

【Q 吉田先生こんにちは!まずはPOOCH PALがどんな活動を行っているところなのか教えてください】

 

POOCH PALは「街のわんこの相談役」をモットーにした犬のじどうかんです。
POOCH PALでは忙しくて十分に遊んであげられないわんこや毎日がお留守番になってしまうわんこを預けることができ、お預かりの間にしつけ指導をしたり他のわんこと遊ばせることができます。お預かりしたわんこ同士が教室で一緒に学んだり遊んだりすることで、自分で考えて行動するようになり、社会性や自主性を身に付けます。
小学校や幼稚園ではなく、何故じどうかんなのか?それは、学びに行くためだけではなく遊びを通じて心身共に学んでいく、地域にあって当たり前の場所「じどうかん」が、POOCH PALのコンセプトにぴったりだったからです。

 

【Q 先生はなぜこのPOOCH PALを立ち上げようと思ったのですか?】

 

もともとは専門学校を卒業後に警察犬の訓練所にいたんです。東日本大震災でも活躍した災害救助犬を訓練したりしていました。そして10年ほど前に独立し、個人で犬の家庭教師として訪問でしつけ指導などを行うようになりました。
そこでは吠えたり噛み癖のある子を指導したりしていたのですが、一度「吠える子」「噛む子」といった困ったイメージがついてしまった子は孤立してしまい、コミュニティに戻りづらくなっていて…
そうしたときに犬の事も学べて、尚且つ地域のコミュニティづくりにも役立てる「じどうかん」があったらいいなと思ったんです。

 

【Q 「家庭犬から社会犬へ」という先生の言葉がとても印象的でした…!】

 

「社会犬」という言葉は実は造語で、人間の子供が「社会人」になるように、犬も社会の一員として何か担っていけるように育ってほしいという気持ちが込められています。
人間が自分の子に「立派な社会人に育ってほしい!」と思うのと同じように、子犬の頃からそのように意識して育てられた子は問題行動を起こしにくくなります。そして社会性を身に付けた子は地域のコミュニティに加わりやすく、人と人(飼い主同士)のコミュニケーションの一助になったりします。
街でわんこを見かけて癒されたりすることはありませんか?POOCH PALが地域のわんこたちと発足した「地域見守りわんわん隊」はわんこを連れて子供の見守りパトロールや、高齢者や子供達とのふれあい活動をしています。
週に一度のパトロールですが将来的には地域の人も一緒に見回れるような、地域に根差した活動になるよう組織として支援していこうと思っています。
今は高齢者ばかりになってしまった夜警にもわんこを連れて参加したところ、とてもウケがよく今後若い人たちの参加も見込めるのでは…と期待していますよ。

 

【Q わんこがいることによって人も遊び、学び、社会性を身に付けることが出来るんですね!】

 

そうですね、今はおうちの事情で犬を飼えない家庭が多く、犬を触ったことがない子供も多くいます。そんな中でPOOCH PALの活動として小学校の防犯教室に参加したりすることで、子供たちが犬との触れ合いで命の大切さを学んだり、早いうちから「働く犬」を身近に感じてもらうことができます。
6月は保育室あおいとりとの交流会を行ったりもしましたね!

 

【Q わんこの可能性ってすごいですね!2020年、いずみのオープンに合わせてPOOCH PALも2店舗目が展開されますが、いずみではどんな活動をされるのでしょうか?】

 

ホームホスピスでは日中の間わんこのお世話をこちらで引き受けて、夜のくつろぎの時間には患者様にわんことゆっくり過ごしてもらったりできたらと考えています。
メディカルフィットネスではわんこにリハビリのお手伝いをしてもらえたらと思っています。例えばボール拾いが得意な子にボールを投げて取ってこさせる訓練、ジャンプが得意な子と一緒に柵を超える訓練…淡々とリハビリをこなすのではなく、「この子と一緒だったら頑張れるかも」と、やる気も出てきますよね。

このリハビリのサポートも、地域のわんこを訓練して手伝ってもらえたらと考えています。
そして地域のわんこのデイサポート。普段お留守番しているわんこのお預かりです。飼い主じゃない人やよその犬と過ごすことで社会性もアップします。飼い主と犬のサポートセンター的な役割を担うことで、飼育放棄をさせない体制をつくります。
動物介在医療が良いとは言われはじめていますが、なかなか実践されていないのが現状です。そんな中でいずみは医療施設と動物の飼育施設を併設させるという、きっと初めての施設になります。セラピードッグが施設に赴いてケアしていた今までの動物介在事業と大きく違う部分です。

 

【Q わくわくするような初めての試みがたくさんですね!それでは最後に、今後医療法人の理事になられるにあたっての意気込みをお願いいたします!】

 

いずみの試みは医療と動物(犬)が連携した新しい挑戦になります。いろんな人のため、そして地域のために何かができるというのはとても嬉しいことです。これまでの知識や経験を活かして、いずみをサポートできたらと思います。
いずみのプロジェクトは日本初であり、動物介在事業のひとつのモデルとなります。きっと大成功すると思っていますし、楽しみでもあります。
いずみプロジェクトでこの業界をけん引できる存在になれたらと思っていますので、責任を持って謙虚に頑張ります!

 

いずみプロジェクトは地域の方や院内の先生方からもとても関心の高いプロジェクト!どんな施設になるのか今からわくわくですね。
もし自分がリハビリなどで医療機関のお世話になるとき、こんな施設が近くにあったらいいな♪と思ったぴーちゃんでした!

2019/7/1号 飯場智子先生(清瀬院・練馬院)インタビュー

毎月ピックアップしてスタッフを紹介していくこのコーナー。
今回は6月より入職の飯場智子(としこ)先生です。先生が力を入れてらっしゃる
「食」の分野、「生活の延長に介在する医療」についてお話していただきましたよ♪

 

【Q 飯場先生、今日はよろしくお願いします!まずは武蔵野総合クリニックへの入職のきっかけを教えてください】

もともと以前の職場では訪問診療・外来・透析を行っていたのですが、自宅から2時間ほどかかる遠い場所だったんです。
なので、同じ内容ができるところでもう少し近場はないかと探していたら、武蔵野総合クリニッがまさにぴったりだったんです。

 

【Q 順洋会の理念も共感していただけるポイントだったのでしょうか?】


そうですね。ただ単に病気を治して健康になったら終了、というのではなく、地域の安心の一助になれたらと思っています。
医者というよりは何かあったときにすぐに頼れる存在、つまり安心感ですよね。その安心感の土台作りができたらと考えています。

 

 

【Q 「すぐそばに。ずっとともに。」ですね!ではこのコーナーお馴染みの質問ですが、先生が医師を目指したきっかけはなんでしょうか?】

 

三重県鈴鹿市の本家では昔から農業や造林業を行っていて、伐採した木を使って家具屋を営んでいました。その作業の中でケガをする方々を目にすることもあり、私もなにかできたらなと思ったのがきっかけでした。

ただ、安心の土台作りをしたいというような考え方はそれこそ医師になって十年以上経ってから芽生えたものでした。
慢性疾患の患者さんを診るようになってから、いつかはお別れの時がやってきますがそれまでに私が患者さんに何ができるだろうかと考え、だんだんと「寄り添う医療もあるんだ!」と感じるようになったんです。

 

【Q 「寄り添う医療」とても素敵な言葉ですね。実際に先生はどのようなことをされてきたのでしょうか?】

 

「ナラティブ(物語)ケア」という言葉をご存知ですか?

患者様の人生をひとつの物語として捉え、自分もその物語の一部として患者様と向き合っています。
例えば訪問診療が終わった後に患者様のご家族が私にお茶を淹れてくれることがありますが、そうではなく、私が患者様にお茶を淹れて飲んでもらうということをやっていました。
患者様に茶器は信楽焼と備前焼でね、お茶請けはこのお菓子でね、と説明してからお茶を淹れます。その瞬間を写真や動画に収めて、患者様の物語の一コマとしてご家族やご自身に見てもらうんです。
ただ単に「はい今日は嚥下の訓練です」といって何かを飲み込むのではなく、まずは「食べること」という当たり前の行為に興味を持っていただく。医療として・訓練としてではなく、生活の延長に医師が少し介在する。
そうして寝たきりで最初は自分で湯飲みも持てなかった患者様が「こういうリハビリならいいな」と言ってご自身で湯飲みからお茶を飲めたときはやっぱり嬉しかったですし、「医師が安心感を与えることでここまでできる!」と思えましたね。

 

【Q 茶器やお菓子も先生ご自身で選ばれたのですね!「食」を介しての医療は2020年オープンのいずみでも専念していただけるのではないでしょうか】

 

そうですね。食というのは、人として接せる当たり前の行為ですし、この当たり前の積み重ねが人生ですよね。医療ありきの食事ではなく、食事に医療が寄り添うことでその人らしい生き方ができるのではないかと考えています。

先生の医療に対する熱い思いが伝わってきました!
ナラティブケアの一環として先生が撮影された写真をいくつか見せていただきましたが、まさに「劇的」といえる患者様の変化に、お話を聞いているこちらも元気と活力をもらえました!
いつか先生の淹れたお茶を飲んでみたいぴーちゃんでした♪

 

 

2019/6/1号 小島理恵先生(清瀬院)インタビュー

毎月ピックアップしてスタッフを紹介していくこのコーナー。
今月は、スキー界からお医者様へ華麗なる転身を遂げた小島理恵先生です!
先生の子供時代から現在に至るまでを楽しく聞かせて頂きましたよ♪

【Q 小島先生こんにちは。まずはお馴染みとなったこの質問から… 医師を目指したきっかけを教えてください!】


実は私、2歳からずっとスキーをやっていたんですね。国体に出たり全日本に出たり、
ずっとスキーばかりやってきたんです。そして高校生の時にジュニアオリンピックで入賞した際に父から「今日でもうスキーはおしまい!」と突然言われまして(笑)これから私どうしよう?!と思ったときに、やっぱりスポーツに関わっていきたいなあと思いまして。そして「ここにいけばスポーツドクターになれるよ」と父に勧められて医学部に入りました。

 

【Q ずっとスキー漬けの生活から医学部を目指すというのは、並々ならぬ努力が必要だったと思うのですが…!】

指定選手時代は海外にも遠征したりしますから、必要に駆られて英語はある程度使いましたし、そういうのに助けられたところはあると思います。
あとは競技の道具を提供してくれたりするスポンサーがついていたのですが、そのスポンサーから「合宿中は必ず1時間勉強しなさい」といわれていたので、トレーニングなどをこなす日々、毎日1時間はお勉強していました。

 

【Q 誰もが同じようにできる事ではないですよね…さすがです!!では、いまこうして武蔵野総合クリニックに来ていただいているきっかけは何だったんでしょうか?】


こちらは知り合いのおすすめとして紹介してもらいました。
長く続けたいので通い続けられる立地であることも大事でしたし、院内の雰囲気が元気なのもいいですね。来ていて楽しいですし、こちらも元気を与えてもらえる感じがします。
本部長ご自身がやる気に満ちていて詳細に渡って見守ってくれていますよね。院内でしっかりと情報共有できている感じもしますし、こういう所で私も一緒になにか出来たら嬉しいなと思いました。
そして2020年オープンのいずみのお話を聞いて「在宅・外来・スポーツ」と私のやりたいことが合致したのがとても大きかったです。

 

【Q いずみではどういったことがやりたいですか?】


アスリートの競技力向上やけがをした利用者さんに対しての処置だけでなく、利用者さんと運動をしたり、一緒にできる楽しみを見つけられたらいいですね!なので、是非いずみに連れて行ってください!笑

 

【Q 先生のスポーツ愛がとても伝わってきました!笑 では最後にクリニックスタッフに向けて一言お願いします!】


お世話になります、に尽きます。特に理事長先生、院長先生、病棟も持てなくて申し訳ないですが、置いてくださってありがとうございます。
どうぞよろしくお願いします!

 

日本スポーツ協会の公認ドクターでもある小島先生は、スポーツに対しても医療に対してもとても熱いものを持ってらっしゃいます。
インタビュー中、こちらの目をしっかりと見て会話してくださる、真摯な姿が印象的でした。
いつか先生がスキーをしている姿を見てみたいと思ったぴーちゃんでした♪

2019/5/1号 杉井京子先生(清瀬院・小児科)インタビュー

毎月ピックアップしてスタッフを紹介していくこのコーナー。

今回は、5月に小児科の常勤医師として復職される杉井京子先生です。

久しぶりの小児科常勤医師ということで、

小児科医のあれこれを突撃インタビューしてきましたよ♪

 

【Q 杉井先生こんにちは!まずは武蔵野総合クリニックで復職しようと思った

きっかけを教えてください】

 

子供の手が離れてそろそろ常勤で働こうと思っていた時に、ちょうどこちらで

募集していたので、タイミングが良かったというのもあります。

あとは、非常勤として勤めていた時に感じた、採算よりも患者様の良いように、

といった下村先生の方針でしょうか。

常勤として復職したら、こちらのやりたいように、患者様のためになるように

働かせてもらえるんじゃないかと思ったからです。

下村先生の「会っただけでなんか治りそう!」と思わせるあの感じも良いですよね!笑

 

【Q 癒しのオーラでしょうか…杉井先生にもありますね!ところで小児科医を目指した

きっかけってなんでしょう?】

 

単純に子供がかわいいからです!

医師を目指したこれといったきっかけは特にないのですが、

子供かわいい!と思って小児科を選びました。

当然、かわいいだけじゃなく大変なこともありますが…

 

【Q では、今までで一番大変だったことといえば何を思い浮かべますか?】

 

色々ありますが、やっぱり初期研修のときに看護師さんが一人もついてくれなかったことですね!笑

他の科には看護師さんがたくさんついているのに、最初はずっと一人で診ていました…

 

【Q 小児科医の誰もが通る道だとか…(笑)逆に診察中に面白かったエピソードはありますか?】

 

そうですね、これもたくさんありますが…

子供って、本当に大人の言う通りに行動するんです。

例えば大人に「そこに横になってください」と伝えれば、みんな診察台に仰向けに乗ります。

でも子供は言葉の通り、横向きに寝たりするんです。

うつぶせの状態の子に「上を向いてください」と伝えれば、仰向けになるのではなく

顔を上に向けて仰け反った状態になったりと、先入観のない状態で行動します。

それが面白いですね!

 

【Q なるほど、これは確かに子供ならではの行動ですね!それでは診察中に気を付けていることなどが

あれば教えてください】

 

なるべく泣かせないように、ですね(笑)

今は2~6ヶ月といった月齢の子の予防接種回数が増えたんですよね。

なので予防接種の機会が増えたのですが、2ヶ月~4ヶ月くらいの子はほとんど泣きません。

何が起こっているかまだわからないので…

でも物事を認識し始めた5~6ヶ月くらいの子は顔を見ただけで泣きます!笑

 

【Q 小児科医のつらい所ですね…!それでは最後に今月からの復職の抱負と院内スタッフに向けて

なにか一言お願いいたします!】

 

非常勤でいた時はまだ言われた通りに動くという感じでしたが、

そのときとは違い常勤になると責任ももっと重くなりますし、

より深く考えて行動しなければならないなと思っております。

武蔵野総合クリニックでは初めての常勤ですのでよろしくお願いいたします。

 

 

診察の合間にもお話を聞かせてくださった杉井先生、ありがとうございました!

先生は音楽(特にクラシック)がお好きだそうで、

フルート、ハンドベル、クラリネット、ピアノを嗜まれていたそうです!

二匹の飼いねこちゃんたちに囲まれて優雅にクラシックを聴く杉井先生を想像したピーちゃんでした♪

 

2019/4/16 新入職員特別報

昨年、新卒として入職した先輩方に、
【あなたが体験した「すぐそばに。すぐそばに。ずっとともに。」】
を書いていただきました。
この一年間で大きく成長し様々なことを経験したことが分かる体験談となっています。
どれも素敵な経験ばかりですので、ぜひ皆さんにも共有したく、
番外編として抜粋したものをお届けさせていただきます。 

◇     ◇     ◇ 

私が「すぐそばに。ずっとともに」を感じたのは訪問診療で診ていた患者様が
お看取りになった時である。
私は、在宅診療部に救急救命士として所属している。昨年の今頃は
「在宅診療」も「救急救命士」もいまいちよく分かっていなかった。
今となっては夜間に救急救命士として出動することもあり、患者様の名前を
聞いただけでも疾患や家族構成まで分かるようになってきた。
約一年間、在宅診療部で働いていく中で、看取りの場には数えきれないほど立ち合った。
その数多く看取りを経験し看取りにもたくさんの種類があると感じた。
限界まで延命をし迎える看取り、家族が限界で亡くなるのを待つ看取り、さまざまである。
そんななかで、「すぐそばに。ずっとともに」を感じたのはずっと診てきた患者様が、
亡くなられた時に求められたサービスをすることで、
「すぐそばに。ずっとともに」を実現出来ると。
何か問題が起きた際にはすぐにかけつけ、安心していただく。それは患者様だけでなく、
家族にも寄り添い、延命だけが医療ではないと感じた。
救急救命士として学んできて、救命ということを強く考えていたが、今、
求められていることはそれだけではないと。
今後も在宅診療部で救急救命士として患者様、家族の求める医療サービスを提供し、
すぐそばに。ずっとともに寄り添っていきたい。
そして患者様も家族も安心して過ごすことができれば、
コンセプトにあったサービスになると思う。 

◇     ◇     ◇ 

私は入職したてのころ、自分に病院で活かせる専門的な資格がないことから、
同期の中で浮いた存在だと感じていました。そんな私は、自分にだけできること、自分の強みを見出し、
それを伸ばすことによって、在宅診療部の一員として一年を過ごす事ができました。
在宅診療部とは、外来に通院することが難しくなった人や、自宅で最期を迎えたいといった人たちが
利用するサービスですが、本当に様々な家族・家庭があると学びました。
人生の最期に立ち会えるこの仕事はとても大事な仕事であり、
その現場には、怒りや悲しみ、驚きがたくさんありました。
苦しそうにしている患者様を診ていて、耐えきれずに、医師や施設職員に
八つ当たりをするご家族様、死後数か月たっても母の死を忘れられず、
何度も病院に足を運び母の死因を確認に来るご家族様、亡くなる前日まで笑顔で見送ってくれた患者様、
あまり意識しませんが、この仕事はいつも死の影が隠れている仕事だと感じました。
そんな患者様のすぐそばに。本人のリビングウイルを尊重した医療の提供を心掛ける、
インフォームドコンセントをはじめ、緊急時にどうするのか、
下村医師も自分の状態が良いときに終末期の話をしても考えにくいとお話されていました。
そこで自分の最期をどのように迎えたいのか、本人の意思を確認し、大木に寄り添うように、
最期まで、ずっとともに。をこれからも届けていきたいです。 

◇     ◇     ◇ 

入職する前は「すぐそばに。ずっとともに。」を実際に体験することは
あまりなかった様な気がします。
ですがこの職場に入職し、患者様を通して色々な声をきかせて頂くことで
「すぐそばに。ずっとともに。」を実感できたように思います。
私は医療関係の仕事に就くことに最初は不安もありました。
親身になって話を聞き、その患者様がどうしたら安心して帰れるかを考え、行動したとき、
帰り際に、患者様から「話きいてくれてありがとう。」と言われたとき、
少しずつ寄り添うことが出来てきているような感じがするようになりました。
私は実際に、患者様と関わる時間も少なく、力になってあげることができないと思っていましたが、
話を聞いてあげることも大事なのだと実感しました。
最近では、患者様とのコミュニケーションをとることも多くなってきたので
これからも当院に貢献できるように、勉強し頑張っていきたいと思います。 

◇     ◇     ◇ 

私が体験した、「すぐそばに。ずっとともに」を感じることが出来た
出来事は、入職して半年経つ頃のことでした。
外来受診希望の患者様から私の所属している部署へお電話が入りました。
偶々、手のあいていた私が対応させて頂いたのですが、どうやら手術前に不安なので、
昔からかかられている特定の先生(医師)にご相談したいというお話でした。
私は、入職してやっと慣れてきたような時期だったので、病院としての
正しい対応は分かりませんが、一人の人として、患者様がどのようにどれ程不安なのか、
どのようにすることが一番うれしいのかなど、お話して下さる限りきくことが出来ました。
お帰りの際に、「よく話を聞いてくれて安心した」「また話したい」「ありがとう」という
お言葉をいただくことが出来、とても安心しましたし、うれしかった記憶です。
後日、直接いらっしゃって、私を指名してまたお話させて頂いたりもしました。
正しいご案内が出来なくとも、私に出来ることがあるということを実感した事でした。 

◇     ◇     ◇ 

私は業務のなかでは一人の患者様と何度もお会いしたり長い時間お話をさせていただくことはありません。
その中で体験した「すぐそばに。ずっとともに」は、整形外科の患者様の対応をしていた時でした。
その方は、以前は当院に通院していたが一時期整形が閉まってしまって困ったとおっしゃっていました。
閉鎖している間はバスやタクシーで他の病院に行かなければならず、
体も不自由でとても大変だったそうです。
今は当院ですぐに受診できて、何かあっても安心だとおっしゃっていらっしゃいました。
また、予約もできて、待ち時間が短くなっている事も、大変よろこんでいらっしゃいました。
そうした会話の中から「すぐそばに。ずっとともに。」とは、
患者様に寄り添い、患者様が希望すればいつでも同じ先生に診ていただけることなのではないかと感じました。
先生以外にも検査部門や看護のスタッフにも常に見知った顔がいることで、
より安心して継続的に受診して頂ける方が増えていけば良いと思いました。 

 

いかがでしたでしょうか?
掲載を快諾してくださった5名のスタッフの皆さん、ありがとうございました!
新入職の皆さんにとって良き刺激となりそれぞれの「すぐそばに。ずっとともに。」を
語っていただける日が来るのを楽しみにしております!
また、このような大切な経験をサポートしてくださった
ドクター方、先輩・上司のみなさんにも心より感謝いたします。
引き続き、スタッフ一同「すぐそばに。ずっとともに。」患者様に寄り添い、
歩んでいけるように努力してまいりましょう。